楽焼(らくやき)

 昔から、一楽二萩三唐津といって茶の湯では楽を最高としておりますが、これは実際にお茶をのむ場合の実感から出た端的な言葉であろうと思われる。手に持ったざんぐりした触感や唇に当てたのみ具合など、まさに楽は茶の湯のために作られたお茶碗と言えましょう。楽焼きは天正年間に京都で起こってから約四〇〇年、楽家代々絶えることなく今日まで独特の手法を伝えて来ました。まったくお茶の為だけに焼かれてきた陶器で、まさに日本の焼き物の中でも最も日本的な焼き物と言っても良いでしょう。

 楽焼きの元祖は帰化人の飴也(あめや)という人物で、その子が初代の長次郎(天正17年-1589-没)です。飴也の妻、比丘尼(びくに)の作は尼焼といわれています。

 長次郎はもと瓦職人でしたが、利休の知遇を得てから彼の指導のもとに楽茶碗を作るようになったと言われています。いわゆる利休形の茶碗は天正14、5年(1586~1587)頃からのようである。当時、長次郎の茶碗は聚楽第の中で焼かれたので聚楽焼といわれ、その後楽印を拝領したことなどから楽焼と呼ばれるようになりました。素地は聚楽土といわれる赤土で、土見ずの総釉です。


黒 楽

黒楽は加茂黒石を使った釉を厚くかけ、釉肌はやわらかくて光沢がなく茶がかっています。これを茶釉(ちゃぐすり)肌といい、長次郎の特色になっています。この茶釉肌は水の乾きが不思議と早くて、濡れても水分が、見込みの方からすぐに引いてゆきます。また釉肌に金気の出ているものもあります。肉取りはぽってりとしていて、高台は比較的大きく、高台際に切り込みがあります。黒楽は窯から鉄鋏(てつはさみ)ではさみだすので、鋏痕がついています。

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赤 楽

赤楽は、唐土(とうのつち 鉛釉)に長石分を混ぜた半透明の白釉を赤い聚楽土の上にかけています。なお、後世のものでは白素地に黄土で化粧がけした上に透明な楽釉をかけています。赤楽には見込みに目があります。

0015a59d.jpg 楽家の初代、長次郎の手になる赤楽茶碗(あからくぢゃわん)。刻々と表情をかえる秋の夕暮れを思わせる。銘の「夕暮」は千宗旦(せんのそうたん)の命名。桃山時代(16世紀)。五島美術館蔵。



宗慶

従来飴也の法名とされていた宗慶は、楽家文書によると、田中宗慶(60歳の時の作の文禄四年銘三彩獅子香炉があります)と言って別人です。
宗慶は秀吉から楽の金印を拝領し、一部作品にはその印を押しています。宗慶には庄左衞門宗味と吉左衞門常慶(寛永12年 1635―75歳没)の二人の息子があり、庄左衞門の娘が初代の長次郎の妻であったが、長次郎死後子がないのでその跡目を継いだのは常慶で、楽家二代目になっている。
宗慶は千利休と同じ田中性を持ち、利休にかなり近い存在であったと考えられている。宗慶とその長男・宗味(長次郎の義父)は樂家の制作活動に深く関わっていたが、徳川幕府に対し、前政権の秀吉と親しかったことを慮り、宗慶の次男・常慶(じょうけい)が樂家の2代となった理由とされている。
世上長次郎と呼ばれる茶碗の中には宗慶や宗味の作も混じっているのではないかと考えられています。
庄左衞門宗味のことは楽家文書や一部茶書にも記されていますが、楽家の系図では正式の代には入っていません。しかし世上には宗味焼といわれる黒楽が伝来しています。

長次郎(初代)

長次郎の作品で古来もっとも有名なのは、利休好みのいわゆる利休七種で、すなわち黒では大黒(おおぐろ)・東陽坊・鉢開(はちひらき)、赤では早船(はやふね)・木守(きまもり)・臨済(りんざい)・検校(けんぎょう)の合わせて七碗で、このうち現存するものは大黒・東陽坊・早船の三碗だけです。また利休七種ににならって後生金森得水や稲垣休叟が選定したものに新撰(新組)七種があります。すなわち黒では閑居・ムキ栗(四方)・針屋・風折(かざおれ)(筒)・村雨(筒碁笥底)、赤では太郎坊・次郎坊の七種です。
このほか有名なものに、禿(かむろ)(黒)・まこも(黒)・横雲(赤)・桃花坊(黒)・紙屋黒・無一文(赤)・勾当(こうとう)(赤)・道成寺(赤)・俊寛(黒)・乙御前(黒)・貧僧(黒)・北野(黒)・雁取(がんどり)(黒)・聖(ひじり)(赤)・あやめ(黒)・面影(黒)・喝食(かつしき)(黒)などがあります。

常慶(2代)

常慶の初名は与次で、後に吉左衞門と名乗りました。吉左衞門の通称はこれから始まっています。常慶は光悦から「楽焼御ちやわん屋」と書かれた暖簾(のれん)を貰っていますが(元のはその後火災で焼失しています。現在のはその写しです。)、楽焼きの称もこの時代からポピュラーになったものと思われます。
常慶は一部作品に楽印を押していますが、これは二代将軍秀忠からの拝領印といわれています。宗慶や常慶の楽印は、楽字の「白」が「自」になっています。常慶の茶碗は、長次郎の作が穏やかでおおらかであるのに対して、作行きに強い感じがあり、俗に道安黒(ぐろ)と呼ばれています。また天目形の数茶碗があります。常慶の特色とされるものにいわゆる香炉釉(ぐすり)があります。荒貫入のある白楽釉で、主に香炉類に使われているのでこの名があります。

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道入(3代)

 三代道入(明暦二年-1656-五十八歳没)は名は吉兵衛といい、俗祢ノンコウ(本来はノンカウ)で知られている。ノンコウの由来は、宗旦が伊勢参宮の途中鈴鹿の能古茶屋で休んだ時、付近の竹で二重切花入を作り、茶屋にちなんでノンコウと銘して道人に贈ったのが、非常に気に入って常に花を入れて楽しんでいたので、この名が生まれたという。光悦ば「楽の妙手」と褒めているが、しかし「先代よりも不如意の様子なり。惣て名人は皆貧なるものぞかし」といっているのは有名である。光悦が妙手と称しているように、技巧では楽代々随一の名工である。

 黒ばごく薄作りで、釉が厚くかかっている。口造りは俗に蛤端(歯)といって縁が薄くなり、特色の一つである。茶溜りはきわ立たず、ぬんめりとして自然である。俗にノンコウの茶碗は見込みが大きいというが薄作りだからひじょうに大きく見えるのである。光悦にならったものと思われる。

高台は畳付が平らで、高台際には鋭い切込みがある。黒釉は独特の美しい濡羽色の光沢があって、姿とともに遠目でも一見してノソコウとわかる。この黒釉は玉虫色に光るので、俗にノソコウの玉虫釉といっている。これは長次郎の時代に比べて焼成の工夫が進んで、高い火度で焼けるようになったからであろう。黒には幕釉といって、重ねがけの釉が胴に幕状になだれている手法があるが、これもやはりノソコウの特色である。このほか蛇蝎釉も工夫され、一入の特色みたいになっている朱釉もノンコウの時代にすでに生まれている。赤楽では時に砂交じりの釉を使い、これをノンコウの砂釉という。

また素地に細い櫛目を入れているのもある。素地は聚楽土のほかに白土も使っている。楽印はノンコウになってからは必ずといっていいほど押してあるが、印には大小二種あり、小印は前作時代、大印は後作時代である。
楽字の「白」が「自」になっているので、俗に自楽印という。
また左側が「ノム」になっているのも特徴である。

ノソコウの茶碗ではノンコウ七種が最も有名で、すなわち黒は獅子・升・干鳥・稲妻、赤は鳳林・若山・鵺である。ノンコウ加賀七種もこれに劣らず有名で、それは七碗とも黒で、桔梗・善福寺・青山・霞・此花・香久山・今技である。
このほか赤の虹・熟柿も知られている。また香合では葛家・雀が有名で、俗にノンコウの雀の香合は目が鋭いといわれている。

ノンコウの弟に道楽があり、茶腕には赤に秀作がある。堺で焼いたので左海焼と箱書されたものがある。印はノンコウ印を裏返した左文字が特徴てある。










  • 最終更新:2012-03-09 20:33:10

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